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2019年8月に投稿した記事

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45周年ハローキティ展

 

 

広島そごうで開催されていた「45th アニバーサリーHello Kitty Collection展」に行ってきました。

 

会場には、昔から現在までのキティちゃんがズラリ勢揃い。

どこもかしこも、可愛いキティグッズで溢れていました。

また、展示のラストには歴代の数々のレアグッズも展示されています。

 

歴史とともにいろんな年代のキティちゃんを振り返りながら見れたのが良かったです。

 

可愛い世界に癒されました。

 

(バトマー)

 

 

 

 

 

 

 

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夏季休業のご案内

拝啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。

さて、夏季の休業につきまして、誠に勝手ながら下記のとおりとさせていただきます。

何卒、よろしくお願い申し上げます。

 

夏季休業日

8月9日(金)までは通常営業を行います
8月10日(土)~ 8月15日(木)迄休業となります。

8月16日(金)より通常通りの営業となります。

何卒、よろしくお願い申し上げます。

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昼行燈人生感

 

思い起こせば30の頃、人間関係の都合から已む無く多数の自己啓発本を読みふけっていたが、現在果たしてそれが人生の糧になっているかと振り返ってみると、殆ど役に立っていないことに驚きを感じた。そもそも自己啓発本の愛読を勧めたのは当時勤務していた企業の役員で、当人はバブル期に訪問販売業で名を馳せた住宅機器メーカーの営業現場経験から、男の生き様を学ぶ良い機会だとばかり、彼が愛読した書物(段ボール一箱、大凡50数冊)を半ば廃品回収の代わりのごとく押し付けられた。

与えられた本のタイトルを見るや、「営業かくあるべき」「営業とは世界一素晴らしい仕事」などなど、要は営業職を生業とするなら心得はこうで覚悟はああでと、地獄の訪問販売営業を生き残った例の役員が、俺はこれだけ苦労したんだから、俺の素晴らしい考えや生き様を与えた書籍から読み取れとのことだったように思えた。流石に職場の上司から与えられた「書物」ではあるので、仕事の一環として読み、その中から(仕事の流儀)的要素の一部は受け入れたものの、人生観としては絶対に受け入れはしないと誓ったものだ。

 

小学校低学年の時候、郷里鹿児島で育まれた「郷中教育」を半ば強制的に学ばされたこともあって、幼少の頃から人生の生き様を若年の内に見い出しておくことが肝要であると先生方から説かれていたが、今になってその言葉の意味が腑に落ちた気がする。その腑に落ちた教材の一つ、郷中教育で繰り返し読み聞かされる名歌がある。薩摩藩島津家の礎を築いた中興の祖、島津忠良公が5年の歳月を経て綴った「いろは歌」、この歌の「い」の歌詞を、冒頭で書いた役員に対し冗談ヌキで語ってやりたかったものだ。

 

『いにしへの 道を聞いても唱へても 我が行ひに せずばかひなし』

訳:昔の賢者の立派な教えや学問も口に唱えるだけでは、役に立たない。

実践、実行することがもっとも大事である。

 

自己啓発本をはじめ、ビジネスで成功した著名人が記した書籍には、確かに私のような愚民の心を動かすような素晴らしい文章が綴られている。がしかし、実際にその文章の推敲を行ったのは「ゴーストライター」だったという、なんとも胡散臭い書物なんぞあちこちに転がっている。自作の小説やコラム等の執筆活動を経験している人ならいざ知らず、「自分は文才がある」と自負している人程、一体なにを訴えたいのか全く判らない文章を書く人が圧倒的に大多数を占めるもので、その手の人物が記した文章は例外なく「編集者」によって脚色されるのは然るべき、それ故に「駄文」は「名作」に生まれ変わるのだ。書物の完成に至る工程は別として、それを受け取る読み手側の目線と心理に視線を移してみれば、素晴らしい事が書いてあって、痛く感銘を受けたとしても、それを読んだその日から実践・実行に移し、自分の「糧」にしなければ、ただ単に知識を得ただけの「経験が伴わない頭でっかち」が生まれるだけだ。

 

冒頭に登場した役員もまさに「頭でっかち」を絵に描いたような人で、中村天風(故人。大日本帝国陸軍諜報員を経て政治結社、自己啓発団体代表)氏の生き様を著した書物を痛く愛読しているが故に、部下に対して宣べる理想と生き様はたいそう公明正大なのだが、実際のところ「修羅場」が訪れる都度逃げ回り、部下に責任を押し付ける唯の卑怯者だったので、知る人皆が皆忌み嫌う可愛そうな人物だった。

 

『願わずば 隔もあらじ偽の 世に誠ある  伊勢の神垣』

訳:誠を持って事にあたれば相応の人生を歩むことができ、不正を持って事に対処すれば結局は地に落ちる。

人は欺けても、天は公平に人を見ている。

 

『遁るまじ 所をかねて思ひきれ 時にいたりて すずしかるべし』

訳:君や国のため命をかけなければならないときがやってくる。

日ごろから覚悟を決めておけば、万一の場合にも少しの未練もなく気持ちが清らかであろう。

 

素晴らしい言葉に感銘を受けるのは、心を持った人間故に当然の心理である。とはいえども、感銘を受けただけでは何の意味もなく、その感銘を受けた文面の意図から、どこまでを自分の人生における糧や目標とし、それを自身の人生における行動指針へ組み込み、その上で様々な経験を重ね弛まぬ研鑽を繰り返さなければ人間自身の成長は足り得ない。書物やネットの知識が豊富なだけの「経験無き人間の言葉」は非常に「薄っぺら」に映る。自ら手を動かし、考え、多数の関係者から叱咤指導を受けた上で行動した末の「経験」から得た成果を基に、自身の生き方の道理や心境を悟った者の言葉の重さと比較したら、明らかに後者の放つ言葉の方が光り輝くものだ。

 

(ツンツ)

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