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考察「やらせ」

昨今、全国放送されているバラエティ番組の「やらせ」が物議を醸している。

真相の程はよく判らないが、海外で開催されている「祭り、イベント」に特派員兼お手伝いをするタレントを赴かせ、それを体験させることで番組のネタにしていたらしいが、実際には「祭り、イベント」は番組制作会社が仕組んだ「やらせ」だったらしく、それに赴かされていたタレント(番組制作サイドは、「やらせ」の真相を当の本人へ伝えていなかった)が悪者扱いされているそうな。

 

事の真相はどうあれ「やらせ」はメディアに限らず、遥か古から頻繁に行われてきた。

 

ありがちな話で言えば、地方のご当地B級グルメを紹介するバラエティ番組があるが、実際に紹介された地元の人間に「B級グルメ」のことを問いただしてみたところ、「なんだそりゃ?」というものである。

その一例を紹介すると、某バラエティ番組で紹介された広島県民グルメ『うにホーレン』。広島に住み着いてかれこれ25年を超える我が身だが、その番組が「うにホーレン」を紹介するまで、広島にそんなご当地グルメが存在していたことさえも知らなかったし、行きつけの鉄板焼き屋のメニューに「うにホーレン」が載っていたのを観たことさえもなかった。

 

自分の胸に手を当ててみると、小学生の頃に執筆した作文が担任の目に触れ、それが郷里の地方新聞に掲載されたことがある。がしかし、実際には担任から手書きの原文を手渡され、「これを期日内に清書するように」という指示のもとに「清書」を行った処、数か月後にその「清書した文面」が新聞に載ったという黒歴史。学校の先生連中を含め保護者連中から『すごい!スゴイ!』と褒められたが、正直自分が執筆した原文は担任により一言一句推敲され、大人が作った文面を「清書」した行為が解せず腑に落ちなかった手前もあり、自分自信の気持ちが高揚することは一切なかった。

 

近年の経験を言えば、過去勤務していた広告代理店時代のこと。販売単価数千万円の商品を『売る』ための新聞折り込みチラシ制作に従事した節、上司の『ある言葉』を聞いて、あー確かにそうだよな、と思わず頷いてしまった。

「商品価格は千万単位、新聞やテレビ広告を一発行った途端に完売御礼では、俺たち広告を提案する側の飯の食い上げになる」

広告というものは、酷い言い方をすれば『視聴者が1000人いたら、その内の1人が広告を見てくれて、広告を出稿した販売会社に問い合わせして頂ければ大成功』であり、出稿主から『問い合わせの状況が良くないから、また広告を出したいのだけれど』と言って頂けるように『作る』のが制作する側の腕の見せ所、無論お客様も馬鹿ではない。新聞掲載広告でも最低数10万円以上から(文字物は除く)、テレビ放送だと放映時間にもよるが20万円以上、それだけのお金を支払って『問い合わせゼロ』では二度と広告出稿のご依頼は頂けない、新聞・テレビ・ラジオといったどのメディアをお選び頂いた(要は広告出稿単価)かに併せて、それに見合った問い合わせを頂けるべく制作しなければならない。

 

さて、冒頭のバラエティ番組に関する「やらせ」に話を戻そう。

 

民放テレビ局が制作しているテレビ番組は、番組制作費や出演者への出演料は、番組開始早々に紹介される『この番組は、●●●の提供でお送りします』と紹介される『広告主』から頂戴したお金で賄わなければならず(日曜20時台のスポンサー費用は、一説によると数千万円単位)、視聴率=商品に関する問い合わせ・売り上げ実績のバランスが悪ければ、その『広告主』は「契約の3ケ月が終了したら、ウチはスポンサーから降りるから」と言われても、テレビ局側に文句は言えないのだ。

するってーと、某テレビ番組制作者としては、視聴率低下➡スポンサー降板を恐れ、やむなく「やらせ」を日常化していたフシが見受けられたのは私だけだろうか?

 

「やらせ」は、実際の真実を湾曲させるだけに留まらず、虚偽を公共のメディアを利用して面白可笑しく、時に真面目に視聴者へ提供している訳だが、それを観た視聴者にとっては、公共メディアが報じているのだから「真実」であろうと受け止めてしまうこともありうる。方やメディア側としては、会社を存続させる、自らの広告を守るために「虚偽」を平然と垂れ流し、一部では「俺たちはそこまで責任を取れない」と逃げる輩が居るのも事実で、酷い場合は番組制作を行った制作会社へ責任を擦り付けることさえ罷り通っている。

 

中節で述べた広告代理店時代の話には内ゲバがある。お客様からの反響が悪かったら、次の機会では『値引き』をしなければならないのが定石だ。しかも、場合によってはそのお客様に対して謝罪のために直接会社へお邪魔して「頭を下げ」にいかなければいけない、経緯と対策を列記した「詫び状」をしたためなければならないことだってある。

一部の連中が始めた「やらせ」、事の発端は「守るため」であったはずなのに、例のバラエティ番組が昨日放送した番組の冒頭に「言い訳」がましい「お詫び」がご丁寧なナレーション付で放送されたことに、思わず失笑してしまった。一部の報道バラエティー番組で、テレビ局のお偉方が頭を下げていたシーンがあったが、とどのつまり、だれも「責任を取りたくない」感を強く感じる。

 

「やらせ」を平然と行うからには、最後までその「虚偽」の意地を張り通すか、潔く認めて「謝罪」し、今後正しい方向へと軌道修正しますと意思表明する必要がある。残念ながら、昨今の大人達は自分自身の保身が最優先であるが故、「どっちつかず」で「灰色の決着」を選ぶのが圧倒的な様だが。

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